第一章 ~女神降臨~ 前編


「あだっ!」
 突然の衝撃に目が覚めた。頭の傍に積んであった漫画雑誌が崩れ、よりにもよって固い背表紙の部分が額を直撃したらしい。
 上半身を起こし、鈍く痛むおでこを擦りながら思案する。
「夢か……」
 突拍子もない夢物語であったのを鑑みるに、いつもの予知夢ではなさそうだ。妖怪大戦争って。
 世界は平和に、平穏に、明日も続いていくことだろう。その明日が安らかかどうかは、今現在を以ては推し量れない。ただ一つ言えることは、このままではマズイということだ。
 さて、特に学生は経験があるかもしれないが、どうにもテスト前日というものは、掃除をしたくなる傾向にあるらしい。そして掃除中に古い物を掘り出すと、懐古に浸って目を通すのに没頭してしまう傾向にもある。
 朗らかな日曜日の午後。春のぽかぽかとした陽気に包まれながら懐かしい思い出を噛みしめていると、瞼は自然と降りてきてしまい――
「いつの間にか夕方!」
 ベランダの網戸から差し込むのは、柔らかな陽光から真っ赤な夕日へと変わっていた。
 明日は高校に入学して最初の実力テストなのにも関わらず掃除を始めてしまい、押入れを整理していると小さい頃のアルバムを発見。見ている最中に意識が飛んでしまい、気付いたらこの有り様である。
 ちなみに、部屋の中の惨状にも目が当てられない。台風でも通過したのかと思うほど、見事にぐちゃぐちゃだった。掃除をしていたのか、散らかしていたのかも分からない。
 雑誌やまだ折り目のない教科書は床に積み上げられ、要らない物を詰め込んだごみ袋がごろごろ転がっている。押入れから引っ張り出されたダンボールは開封されており、中身が散逸していた。
 勉強どころか、このままでは本日この部屋で寝ることもままならない。なんとか晩ご飯前までには片付けてしまいたいところだ。
 頭上に落下してきた漫画雑誌には恨みを込め、きつめに縛って一つにまとめる。教科書は今日こそ使おうと思い至った勉強机に並べる。ごみ袋はとりあえず部屋の隅に置いておき、ダンボール箱は中身を戻してそっと蓋をしておく。
「おっとっと。こいつも仕舞っておかないと」
 眠りに落ちるまで捲っていたアルバムも元あった箱に戻そうとすると、小学校の卒業文集が目に付いた。
「うわ、これも懐かしい」
 懲りずに文集を手に取り、表紙を開いて幼き日の自分に思いを馳せる。
 この頃は悪戯したり喧嘩したりと、やんちゃ盛りで馬鹿な悪ガキ一直線だった。その証拠に、将来の夢の欄には〝世界征服〟と書かれている。
「微笑ましいなー、過去の俺」
 笑いながらアルバムを閉じ、目も閉じる。
 その夢が、今でも変わっていないのが問題なのだが。
「ま。それはさておきまして、お片付けの続き続き」
 どうにも懐かしい品を発掘すると作業が滞ってしまうのはお約束であるらしい。このままではキリがないので、またの機会にじっくりと――
「ん?」
 文集を箱に戻そうとしたところで、底にもう一冊の本があることに気が付いた。
 随分と古ぼけた書物だったので慎重に取り出す。
「こんな物、入れてたっけ」
 かなり年代物の古文書のようで、色褪せた表紙にはミミズがのたくったような字で何か書かれていた。
「占事、略决?」
 辛うじてそう読めなくもないが、読めても意味不明である。
 擦り切れて破れそうなページに注意して表紙を開いてみた、途端。

『初めまして、安倍明治(あべあきはる)』

 突如として男の姿が浮かび上がり、俺の名を口にした。
「うおっ!?」
 驚いて書物を閉じると、その男は消えた。
「………………。なんだ、これ」
 一度停止した思考を再起動させ、不気味な本をあらゆる角度から観察する。
 古い本、のはずだ。紙質も装丁も古典的だし、少なくとも表紙はそれっぽい。
 しかし、そこから見知らぬ男が出てくるとは何事か。閉じたら消えたけど。ホログラフィー? 飛び出す絵本? 仕掛けが理解不能だ。
 訝しみつつ、もう一度だけ開いてみることにする。
『ご挨拶だな』
「あんた誰だ!」
 開いたページから、やっぱり男が現れた。
 整った鼻梁と切れ長の目は理知的に。しゃんと伸びた背筋と奇麗な着物は男の身分の良さを、貴族的な雰囲気を象徴している。イケメンの青年が、開いた本から浮かび上がって嘆息していた。そしておもむろに名乗る。
『我は天才陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)だ。お前の祖先、ということになるな』
 自称天才の、自称安倍晴明は勝ち誇った顔でそう言った。
 安倍晴明といえば、陰陽師と聞けば誰もが思い出す一番の有名所であろう。昔々に活躍し、様々な伝承も残っている。
 このホログラム映像的な男が、その安倍晴明だというのか。
 信じがたい。疑わしいことこの上ないし、胡散臭いこと甚だしいが、悔しいことに信憑性がないわけでもないのだった。
 実を言うと我が家は平安時代から続く由緒正しい神社で、安倍氏の血を代々受け継いできた家系と聞いたことがあるし、現に俺には不思議な力が宿っていたりするのだが……いや、今それはいい。それよりも、困惑する俺を嘲笑うように見上げるこの男だ。
『明治、お前は安倍一族の中でも取り分け優秀な才能を持って生まれた。我と同じ、陰陽師としての力だ。言われなくても気付いているだろう?』
「え? まぁ……」
 たしかに予知夢とか、少なからず霊が見えるとかはあるけれど。
 世間様や友人には伏せているが、父親と、とある幼馴染との間ではそれが普通のことだったからか意識したことはあまりない。
『百年に、いや千年に一度の逸材か。今はまだ貧弱のようだが、鍛えれば伸ばすことが出来る。まあ、それでも我には遠く及ばないだろうがな』
 俺を持ち上げたいのか貶したいのか、それとも自慢をしたいのか。おそらくは最後のっぽい。一体全体、何が目的かは不明瞭だが、この男がナルシストで自己陶酔な人ということは理解した。
「それで? あんたの言うところ子孫の俺になんの用だ」
『そう急くな。今からが本題だ』
 呆れたように言うと、晴明は着物の裾から扇子を取り出して広げ、口元に当てながら語りだした。
『心して聞け。お前の生きる時代は今現在、滅亡の危機に瀕している。我が生きた時代に封律した妖怪変化がこの時代に復活し、復讐の念から人間界を侵略せんと企んでいる』
 うん。……うん? 心して聞いていたけど、内容がさっぱり頭に入っていかない。
 おそらく間抜け面を晒しているであろう俺を見兼ねてか、晴明は一呼吸置いた後に力強く宣告した。
『単刀直入に言う。世界を守れ。お前は現代に生きる陰陽師として、救世主となるのだ!』
「……えー」
 なるのだ! と扇子を突き付けられましても。世界とか時代とか、スケールが大きすぎて俺の貧困な想像力では話に追い付いていけない。
 大体、妖怪が侵略してくるなんて漫画やアニメ、それに夢の中の話だ。 「そんなことあるわけが……いや待てよ。そう言われると最近、風が騒がしいような」
『そうだ。奴らは今にも侵攻を』
「ねえよ! 今日も心地の良いそよ風が吹いてるよ!」
『ノリツッコミをしている段階ではないぞ。これはマジだ。その証拠に、お前を狙う刺客が既に動き出している。気を付けろ。次のページに袋とじにしておいた護符を準備しておけ』
 そんな俗っぽい言い方で、自身の信憑性が急速に欠けていくことに気付かないのか。平安時代の陰陽師がノリツッコミとかマジとか言うな。
 しかもページを捲ると、確かに袋とじがあった。もう言及する気力もない。
「これも夢か幻か。掃除で疲れたのかねえ」
 深い溜め息が、いつの間にか暗くなってきた部屋に溶けた。掃除は全然進んでいない。
『おい待て!』
 書物を閉じると、喋る立体映像の白昼夢は霧散した。
「要らない物は処分処分っと」
 ふざけた本を筒状に丸め、ごみ箱に放り捨ててから窓の外を仰ぐ。鮮やかな西日が今にも沈もうとしているところだった。
 世界が闇へと染まっていく黄昏時。昔の人はその別名を、逢魔時と、そう呼んだ。
 その時、背後で押入れの戸が鳴った。
 カタリ、と無機質な異音が部屋の静寂を破る。
 首筋から、悪寒と嫌な予感が全身に広がっていく。
 危機察知能力とでも言うのか、俺はそれが異様に長けていた。首の後ろがざわめいた時には必ずと言っていいほど悪い物事が起こるのである。それが、今まさに。
「誰、だ」
 自分以外の気配が息を殺して潜んでいる錯覚。いや、誤認ではない。じっとりとした不快感が背中に貼り付く。視線を感じる。殺気を感じる。先ほど晴明はなんと言っていたか。
 俺を狙う刺客。気を付けろ。何に?

 俺の後ろにいる鬼に、だ。

 意を決して振り向くや、痩せ細った小柄な体躯と視線が交錯した。
 赤い目。感情のない濁った瞳が俺を見据えたと同時、そいつは手にした凶刃をギラつかせながら飛び掛ってきた。
「うわあああぁぁぁっ!?」
 咄嗟に手元のごみ箱を掴み、後退しながら滅茶苦茶に振り回す。鬼の持つ匕首(あいくち)とぶつかり合った瞬間、腕に重い衝撃と共に鋭い痛みが走った。
「ぐ……っ」
 なんだあいつは。本当にあの化け物は俺の命を狙っているのか。マジなのか?
 状況に対する理解が追い付かない。が、この痛みは現実だ。落ち着け、焦るな。現状の把握に努めろ。
 薄く切れた腕から血が滲み出る。どうやら刃先が掠ったらしい。
 襲ってきた小さな鬼の方は、弾かれた反動からか散らばったダンボール箱の間で体勢を崩している。隙は今しかないが、その小鬼の一撃でごみ箱には穴が空き、もう盾としては機能しそうになかった。中に入ったふざけた本だけ無傷なのが皮肉――
「これだ!」
 本を引っ張り出し、袋とじを引き千切る。
「信じるぞ、ご先祖様!」
 袋とじから、本当に入っていたお札らしき紙を抜き放ち、抜き放ち……。
「どう使えばいいんだ!」
 手にしたお札に注視した一瞬に、立ち上がった小鬼が再び襲撃してきた。
「ちょ、待っ……」
 静止を呼びかけるも、相手は止まってくれるはずもなく。そして身を守る物もない。俺は目を固く瞑り、腕を体の前で交差させることしか出来なかった。ただ斬り付けられるその時を待つ。
「ギィィィ!」
 為す術もなく切り裂かれるかと思ったが、しかし悲鳴を上げたのは相手の方だった。
 金切り声に瞼を開けると、目の前で小鬼が苦しみ悶えている。よく観察してみれば、奴の右腕が凶器ごと消滅していた。
「これは……」
 右手に握ったお札を見ると、淡く青白い光に包まれていた。
 苦痛の叫びを漏らしてのた打ち回る鬼から視線を外さないようにしながら、例の本を開く。
『我の話を信じないからそんな無様な姿を晒すことになるのだ。いいか、その護符には退魔の術が施してあり、邪を払うことが可能だ。我がわざわざ製作してやった護符だ。ありがたく思え』
 晴明が再び現れて鼻を鳴らすが、おかげで本当に助かった。
「これがあれば、もう安心だな。ありがとう晴明先生!」
『喜ぶには早いぞ。残念ながら、その護符は使い捨てだ。一度きりで効力は消える。護符の作り方は後で教えてやるから心配しなくてもいいがな』
 え?
 お札に目をやると、燐光は消え、心なしかペラペラと頼りなくなっていた。
「後でって、もっと用意してくれていないのですか、先生!」
 本をざっと捲っても、袋とじの中を覗いても、お札はこの一枚しかない。
 頭から血の気が引くのを感じながら顔を上げると、鬼が残った腕を突いて立とうとしているところだった。再び目が合う。素直にお喋りは出来そうもない。
「く、来るなら来い! 今度はその見窄らしい身体が跡形もなく吹っ飛ぶぜ!」
 お札を突き出し、片足を上げた戦闘の構えで威嚇する。無論ハッタリだ。内心は震えながらも相手を睨み続ける。
 すると小鬼はじりじりと後退りし、換気のために開けていた窓から飛び出していった。
 息を止めてそれを見送ること一秒、二秒。
「はぁぁぁ」
 肺に詰まった空気を大きく吐き出しながら膝を床に落とす。どうやら命拾いしたようだ。幸い切られた腕も軽傷で済み、血は既に止まっていた。
『ほう。威勢の良い啖呵を切るその度胸、見所がないわけではなさそうだな』
「なんだったんだ、あれは一体……」
 多分これでしばらくは安全だろうし、一度状況を整理してみよう。
 ティッシュで血を拭き取りながら、事のあらましを順序立てて振り返る。
 まず、掃除の途中に見付けた本は陰陽師・安倍晴明が俺に記した物で、仕組みは不明だが、本人の映像が浮かび上がる物だった。
 その晴明が語った話からすると、現代に復活した妖怪に世界が狙われているらしいということだ。それを撃退する役目を押し付けられたのが、晴明の子孫である俺で、人間界を手中にせんとする妖怪らは刺客を放ち、俺の命を狙っている、と。
「凄いことに巻き込まれたような……」
 正直に言えば荒唐無稽で、到底信じられる話ではない。だが、実際に化け物に襲われて怪我までし、そこを護符に救われた。もしかして俺が知らないだけで、全ては本当のことなのか。妖怪の侵略やらそれと戦う陰陽師やらは。
 先ほどまでとは違った猜疑心を抱きつつ、祖先である安倍晴明に問う。
「俺はどうしたいいんだ。このままじゃ簡単に殺されるぞ」
『緊張感が出てきたようで何より。ここからはお前が世界を守る為の準備だ。色々とすることはあるが、まずは自己防衛の手段を持つことを優先させる。お前が死んでは元も子もないからな。頼れる助っ人を呼び出し、自分を守護させる方法を教えよう。次のページに解説があるからその通りにしろ』
 ここまで来たら引き返せるわけもない。強制的に乗せられた船のような気もするが。
 体力的、精神的に疲労を感じつつも、俺は生唾を飲み込んでページを捲った。

 式神を使役する五つの方法

「ハウツー本かよ!」
 叫びながら占事略决なるふざけた本を床に叩き付けると、下の階から母親の声が聞こえた。
「ちょっと明治ー? さっきからドタバタうるさいんですけどー。もうちょっとでご飯だから掃除が終わったら降りてきなさいよー」
「う、ういー」
 ……あまりの俗っぽさに思いっきり突っ込んでしまったが、冷静になれ。相手は紙だ。
 本を拾い上げ、仕方なしに再び開く。
『もっと丁寧に扱え!』
「いや、書き方に疑問が」
 頭ごなしに怒鳴られてしまったが、これはもう安倍晴明という人間への評価を改めなければならないようだ。腕を組んで浮かんでいる晴明に一瞥をくれるが、意に介されていなかった。
『いいか、式神とは召喚者を守護する、便利な小間使いみたいなものだ。とりあえず召喚して使役してみろ。ちなみに、今回お前が呼ぶのは我が過去に契約していた神でもある』
「随分と軽いなあ」
 式神ってそんな、気軽に従えられるものなのか。陰陽師の秘伝の技とかだと思っていたのに。
 がっかりしつつも、ふと妙案が浮かんだ。
 その式神を使えば、世界征服も夢ではないのではないか。俺を守ってくれる存在ということは、さっきの小鬼を圧倒する力を持っているということだ。それを自由自在に操ることが出来れば……。
「で、まずはどうすればいい?」
 胸中の野心を表に出さぬよう、五つの方法に耳を傾ける。
『よし。最初に場作りだ。神を呼び出すためにはそれ相応の場所が必要となる。通常は霊的な加護があり、神聖な場所で儀式を執り行うが……』
 晴明が俺の部屋を見回す。
『今回は面倒なのでここでいいだろう』
「いいの!?」
 こんな、物が飛散した部屋に神様を呼んだりしたら失礼にあたるのではないのか。
 俺もぐるりと見渡すが、さっきの騒ぎでダンボールやらごみやらが部屋中に散乱している有様である。却って掃除前より汚くなっているのが悲しい。
 神聖な場所とは到底思えず、こんな所で大丈夫なのか初っ端から不安が募る。
『次に雛型だ。神を受肉させるのには人形(ひとがた)が必要となる。霊験あらたかな人形が理想なのだが、まぁ今回は折り紙で作れ。雛人形の女雛の方だぞ』
「折り方を知らないんですけど……」
『そんなことも知らないのか? いいか、まず半分に折って……。あー。説明が面倒だから適当に折ってみろ。出来るかもしれないし』
「無理だよ!」
 それは無茶振りというものだ。鶴だって折れないのに。折れても飛行機くらいである。
 それにしてもこの晴明さん、相当な面倒くさがりらしい。そんなのでいいのか陰陽師。
 脳内で文句を垂れながらも、散らかった荷物の中に子供の頃読んだ折り紙の本が混ざっていたのを思い出し、少し整理しながらそれを発見した。丁度良く新品の折り紙が挟まっていたので、希少な金色を使うことにする。
 女雛の折り方を調べると、意外と簡単ですんなりと人形は完成した。疑問を重ねるが、こんなので本当にいいのか?
『よし。次に三昧耶形(さまやぎょう)だ』
「さま? なんだそれ」
『三昧耶形とは、その神様の持ち物であり、象徴でもある仏具のことだ。呼び出す時に橋渡しをする媒体の役割を果たす。今回の神は武器なら何でもいい気がするが、我が召喚に使用した仏具があるはずだ。そちらにあるのを感じる』
 指示された方を見るも、ベランダに布団が干してあるだけだ。あ、取り込んでおかないと。
 よっこいせと腰を上げ、完全に日が落ちたベランダに出て布団を抱える。もちろん仏具なんてあるはずもなく、普通に物干し竿に布団が掛かっていただけだ。
「ま、まさか」
 その物干し竿に注目すると、ただの竹竿ではなくて両端に飾りがあったり、呪文みたいなのが彫ってあったりした。
「おい晴明、よもやこれじゃないだろうな?」
 部屋の中の晴明に掲げて見せると、親指を立ててきた。マジか。
「うわー。ずっと布団干しに使っちゃってたんだけどこれ。罰とか当たらない、よな?」
 大事な物ならきちんとそうやって伝えて保管しておいて欲しい。
 布団と共に怖々と部屋に引き入れ、壁に立て掛けておく。とりあえず三昧耶形とやらは無事に見付かった。
「これでよし。お次は?」
『真言だ。真言とは、神に願いを直接届けることが出来る言葉のことだ。召喚の呪文と考えればいい。これを間違えると何が出てくるか分からんぞ。充分に気を付けろ。……あの時は大変だったなあ。まさか閻魔大王が現れるとは』
「経験談かよ!」
 自称天才の割には、やっぱりどこか抜けてるよな。それで閻魔様を呼び出してしまうのも凄いが。
『だがしかし、我は咄嗟に結界を展開して閻魔大王の身動きを封じ、地獄で会おうぜと言い捨てて元の世界に返還してやった』
「酷いな!」
 自分が呼び付けたくせに、拘束してあまつさえ妙に皮肉めいた台詞で追い返すなんて。
『さらにそこからが盛り上がるんだがな?』
 その話はもういいから。続けなくていいから。いよいよ次で最終工程だし、はた迷惑な武勇伝は聞き流しておこう。
『というわけだ。おい、聞いていたか明治』
「ああ。すごいなー」
『疑わしい』
 勘繰った眼差しを向けられたが、鳴らない口笛を吹きながら誤魔化した。
「ささ、最後だろ」
 なおも物言いたげな晴明を制し、式神召喚に必要な最後の手順説明を促す。
『釈然とせんが……。最後は簡単だ。名を付けてやればいい。召喚した神を具現化させるため、名前を付けて現世に縛れ。そうすることで宿主であるお前との契約関係が結ばれ、式神として使役することが可能だ。さあ、レッツチャレンジ!』
 天才陰陽師は英語も使えるらしい。万能だな。
 しかし、こんなに簡単で本当にいいのだろうか。場所は俺の部屋。人形は折り紙製。三昧耶形は物干し竿(として使ってしまっていただけだが)。後は真言を唱えて名前を付けるだけで神様を召喚出来る、らしい。生贄が必要だとか、魔方陣を描くとかの方がまだ信憑性もあるのだけれど。
『召喚するにおいて、呼び出す神について教えておこう』
 おお、それは興味がある。
「神様と言ってもいっぱいいるからなあ。八百万って言葉もあるくらいだし」
『今回お前の式神となるのは、弁才天だ。財福の神ということで、弁財天とも書いたりする。さらには美音天や妙音天との呼称もある神だな』
 弁才天って、七福神の弁天様のことだよな? それなら俺も知っているが、福の神を使役しちゃっていいものなのか。本当に出来るかは眉唾物だけど。
『日本神話に由ると市杵嶋姫命(いつきしまひめ)とも呼ばれる女神で、広島県・厳島神社の祭神であり、神社の名前の由来にもなっている。真言は本に書いてある通りだ』
 ふふん。と、晴明は得意気に弁天様の解説を終えた。
 豆知識をありがとう。天才陰陽師というよりも、インテリ陰陽師になっているがそれはいいのか?
「まぁいいか。それで、弁才天の真言は、っと」
 本を捲り、羅列してある片仮名を指でなぞりながら呟く。
「オン ソラソバテイエイ ソワカ、か。噛まずに言えるか……なっ!?」
 試しに真言をたどたどしく唱えるや否や、目の前に置いた折り紙製の金色女雛が輝き、それに共鳴するように物干し竿もとい仏具も強烈な光を放って震えだした。
 凄まじい眩しさに目を開けていられなくなって腕を翳して遮るも、光の奔流は止まる所を知らずにその勢いを増していく。
『来るぞ』
 世界が、光に包まれた。

「ん……」

 どのくらいそうしていただろうか。俺ではない甘い声に薄目を開けると、閃光は消え去っていた。
 まさか召喚に成功したのか。ゆっくりと顔を上げる、と。
 不思議そうに俺を映す、くりくりとした大きな瞳。半開きになった口から覗かせた特徴的な八重歯。頭の後ろで括った短いポニーテール。
 着ている物は白と桃色を基調とし、肩口に切れ込みが入った羽織だった。紅葉があしらってあり、きめ細やかな生地は一目で豪華な物であると分かる。その下には薄い浴衣のような黒い装束を着ていて、短めな裾からは華奢な足が伸びており、足袋と厚底の下駄を履いていた。
 古風、そして奇抜な格好をした女の子が、俺の目の前に座っていた。ただし、
「ちっさ!」
 手のひらサイズの女の子が。
『成功だな』
「え、このちっちゃいのでいいの?」
「ちびちび言うなー!」
 小さな女の子がその場で地団駄を踏むが、迫力など皆無でありむしろ微笑ましい。例えるなら小動物を愛でる感じ。
「失礼な奴だな! 名を名乗れ、名をぉ!」
 腰に手を当て、指差してくる女の子。偉そうな態度なのは神様だからか。
「俺は安倍明治。そういうおちびさんは、弁天様……いや、弁天ちゃんか?」
「ちび言うな! それと気安く弁天ちゃんとか呼ぶな! わちはいちゅきし……っ」
 あ、噛んだ。
「わちは、い、市杵嶋姫命なるぞ!」
 そして言い直した。
「そっかー。お姫様なのかー」
「うがー! アキハルとか言ったな、そちめ失礼にも程度があるぞ! 姓が安倍ってことはセイメイの縁類か? あいつはもっと敬意を持っておったぞ!」
「本当か?」
「……そう言われると、わちより偉そうだったかもしれん」
 でしょうね。
『酷い言われようだな』
 晴明が肩を竦める。
「お主もどういうことだセイメイ! こいつがわちを呼んだようだが、無礼過ぎる! 教育がなっとらんぞ!」
 昔馴染みだという小さな弁天様が晴明に不平を訴えていた。
 しかしおかしいな。市杵嶋姫命と名乗った以上、召喚は成功してこの子が俺の式神となったはずなのだが。全然操れている気がしない。
 あ、名前を付けていないからか。弁天ちゃんはお気に召さなかったようだし。
「えーっと、なんだっけ君の名前。いつきしゅ……っ」
「はははは! お主も噛んだな!」
 指差しで笑われてしまった。しかし女の子はひとしきり笑った後、表情をころりと変えて、
「人の名前で噛むなー!」
 指差しで怒られてしまった。
「市杵嶋姫命だから……。イツキ。イツキでどうだ?」
 と、彼女の名前を呼ぶや否や、俺の脳裏に浮かぶものがあった。どこかで聞いたことが、呼んだことがあるような。
「言いやすく縮めただけではないか! 誰がそちなんかの……」
 俺の胸襟に反してイツキが不満げに八重歯を尖らせ言いかけていると、階段を上る音と聴き慣れた声がした。
「明治、おばさんが、ご飯だから降りて来なさい、って」
 まずい。なぜあいつがここに。いつの間に家に上がり込んでいたのか。いやそれよりもイツキを見られたらどう説明すればいいのか。とにかく面倒なことになりそうなので、ひとまず色々隠すことにする。
 占事略决とかいう安倍晴明の投影機を閉じて尻に敷き、転がっていたごみ箱を掴んでイツキに被せた。
「何をする!」
「ちょっとの間だけ大人しくしていてくれ頼むから!」
 文句を付けるイツキを隠した直後、突然の訪問者が入り口に立った。
 見られてない、よな?
「……汚い。掃除してるって、聞いたけど」
「いやー、してたら荷物が崩れちゃってさ。それより飛鳥、いつ来たんだ」
 戸口から部屋の惨状を見て引いている彼女の名は、神代飛鳥(かみしろ あすか)。俺の幼馴染で、向かいのお寺に住んでいる。その姿を一言で例えるなら、和風な人形と言ったところだ。肌は白く、腰まで届く艶のある黒髪の先端辺りをリボンで結び、背中に垂らしている。
 本日は和柄なTシャツの上に生地の薄いチュニックを羽織り、クリーム色の落ち着いたキュロットから細いおみ足を覗かせていた。
 こいつも高校生になって、少しはお洒落に気を配るようになったか。俺が言えた義理ではないが。
 俺の無粋な目線に反応してか、飛鳥はぶっきらぼうに返事をした。
「今さっき」
「そ。そうですか……」
 淡々とした性格は接しやすくて大変結構なのだが、口数が少ない割に毒を多量に含んでいるのが玉に瑕。いや、常に傷か。長い睫の下に、何を考えているのか判読し辛い視線を湛えていらっしゃる。
「おかずのお裾分けに来たら、おばさんが食べていきなさいって」
 ちっ、母さんめ余計なことを。
「その舌打ちでもしたそうな目は、一体」
「滅相もございません。ささ、ご飯だろ。行こうぜ」
 ふう。これでどうにか誤魔化せ――
「ほう。アキハルのこれか?」
 イツキがごみ箱に空いた風穴から顔を覗かせ、小指を突き出してニヤニヤと笑った。
「出てくるなって言ったろぉぉぉ!」
 手で押さえるも、まるでもぐら叩きのようにイツキは穴に引っ込んで……あ。
 ゆっくりと背後を振り返ると、飛鳥が目を丸くして立ち尽くしている。
「明治、今の」
「違うんだよ飛鳥! あれだ、子供の頃に持ってたおもちゃを発掘してさ! 電池で動いて喋るみたいなんだよねー!」
 飛鳥の声に被せて喚き、なんとか丸め込もうとするが、彼女の開いていた目が怪しげに細められる。
「なんか、そのごみ箱から霊力を感じる」
 さすがお寺の子!
 飛鳥は俺と同じで、そういうモノに勘付く能力を持っているのだった。
「そ、それより晩ご飯! あー、掃除してお腹空いたなー」
 飛鳥の両肩を押して無理やり退散しようとすると、目聡い彼女は俺の腕に刻まれた傷に気が付いた。
「この怪我、何?」
「こ、これは掃除してる時に紙で」
『それは小鬼に斬られた傷だ。まったく、最初から我の言うことを素直に信じていればいいものを』
 晴明が非難の目で俺を見ていた。どうやら勢いよく立ち上がった拍子に、本が開いてしまっていたらしい。さらに晴明の横では、ごみ箱から抜け出したイツキが飛鳥に手を振っていた。
「明治、説明して」
 あ、こりゃ駄目だ。
 もう誤魔化しきれないと悟った俺は、飛鳥に洗いざらいを告白することになったのだった。

第一章 中編